ショックな事があると、いつも通りの事をして落ち着こうとするクセがある。
実家の犬が、ついにその時を迎えた。
15歳
本来なら、仕事帰りに花買って実家に寄って思い出話に花を咲かせたり、涙したりなんかしてたはずだけど、この状況では届いたメールに「おつかれさま」と返すことしかできない。
実感がない。
涙も出ない。
元々じわじわと己の感情を自覚していくタイプなので、多分少しずつ自分の感情に気付いていくのだと思う。わからないけど、多分。
ただ安らかな最期だったことだけ、本当によかったなと思っている。医者に連れて行かないという母の選択は正しかったと思いたい。
まだ学生だった頃、最寄り駅で電車を降りると足元に潰れたグレープフルーツが落ちていた。
それはそれは見事な潰れっぷり。何がどうしてこうなった?と思いつつ、通り過ぎる。
その日、用があって久しぶりにお邪魔した家のすぐそばに、同じように潰れたグレープフルーツ。見るも無惨な潰れっぷり。
なんだ、デジャヴか?
少し驚きつつも、その時「これで私は今後の人生を運命という言葉に惑わされることなく生きていける」と妙な確信を持ったのだった。
あれから20年近い時が流れ、実際その間どうだったかは自己判断しかできないけれど
そもそも、運命という曖昧なものに夢を抱くようなタイプでもなかったんだよなと思いつつ、運命的な出来事に冷静な視点を忘れずにいられるのは、あの出来事のおかげだと今も思っている。
とかなんとか言いつつも、素敵な偶然を単純に喜ぶ心は忘れずにいたい。
素直って大事。
今夜は湯船でゆっくり温まって眠ろう。