私には川井を責めることができない。
超個人的な過去の話をするので、そういうので疲れちゃう人はスルーでお願いしたい。
それと、なんのこっちゃという感じだけど、前置きが長くなることを、前置きしておく
中学に上がって すぐに、私は母と二人で父の単身赴任先に移り住んだ。父のうつ病が良くなることを期待してのことだった。
自宅に犬と兄と祖母を残して。
転校先の学校での記憶は楽しかったことしか覚えていない。私は目の前に麦畑が広がる田舎で、のびのびと過ごした。
約一年を過ごし、父が更に北へ赴任することが決まり、私は地元の中学に戻った。
小学校からの友人には、明るくなったと言われたが、それも長くは続かなかった。
空気を読まず、あけすけな私のことが鬱陶しくなったのだろう。
私はあっという間に、独りになった。
明確に嫌がらせをされ、いじめられていたわけではない。ただ、話しかけてもそっけなくされ、朝の登校待ち合わせ場所が知らないうちにかわり、ひたすら独りだった。それだけだ。
勇気を出して「私の何が嫌でそういう態度を取るのか」と聞いても、聞こえないフリをされ答えは返ってこなかった。私は解決する手段を失い、絶望した。
けれど、担任教師はそれを見過ごさなかった。私と首謀者の間に入って話を聞いてくれた。そこまでは良かった。
結局、首謀者が悪いという空気になり、首謀者が自らグループを抜け、空いたところに私を押し込む形になった。
問題は解決せず、担任教師は思い悩み体調を崩して長らく休んでいたし、私もモヤモヤしたままでいた。
「こんなの違う」
けれど、独りになるのを恐れた私は、なんとかしたい気持ちにフタをした。
首謀者の彼女はプライドが高く、意志の強い人だった。私は彼女のそういうところが好きだった。
グループを抜けた彼女は、私には近付いて来なかったが、どう考えても気の合いそうもない子に話しかけてみたり、堂々としていた。
男子はそんな彼女を笑っていた。反吐が出た。
彼女の言うままに、私をのけ者にした3人と一緒にいると、心底 反吐が出た。
独りになるのがこわくて、そいつらと一緒にいることを選んだ自分には、もっと反吐が出た。
「どいつもこいつもクズばっかだ」
結局、首謀者の彼女に声をかけることができないまま、クラス替えになった。
私たちは全員、バラバラになった。
かわりに私は、独りの間も声をかけてくれていた隣のクラスの友人と同じクラスになった。
最初は「なんなの、そのボランティア精神」とひねくれた気持ちでいた。けれど、友人は「これをしたらみんなが怒るのは当然だよ」と丁寧に私に教えてくれた。ヒトの感情に鈍感で気遣いのできない私にとって、必要なのは紛れもなく「他人の感情を知ること」だったし、この時の様々な教えがなかったら、今の私はない。なんだか、出来すぎた作り話みたいだなと自分でも思う。私は本当に運がいい。
友人とは、高校で別々になった後も交流が続いて、今では私にとって唯一無二の存在になった。
学校はいじめの問題で何もしなかった事ばかりが報道されるけれど、多分、何かをしてくれている教師や学校もたくさん存在すると思う。問題が大きくならないが故に、取り上げられることがないだけで。
少なくとも、私の通う中学はクラス替えの内容から考えても、よく見てくれていたし、実際、担任の対応やクラス替えで私は救われた。
体調を崩した担任だけじゃなく、この問題に関わったであろう教師全員に、とても感謝している。あの時の私にとって、放置されなかったことは、何よりも大きな救いだった。
最初に首謀者に嫌な思いをさせていたのは、おそらく私に違いない。今はそれがよくわかる。
理由があれば他人を傷付けて良いわけではないし、ハッキリと教えて欲しかった。とは思う。けれど、当時の自分が逆の立場で「お前のこういうとこウザいよ」なんて言えたか?と聞かれたら、答えは「ノー」だ。だから、私には首謀者を恨む気持ちがまったくない。
首謀者は私と距離を置くことで、自分を守ろうとしたんだろう。
(これは富士山)
さて、やっとここで本題
「聲の形」という映画を観た。
独りになった記憶が昨日のことのように蘇り、心が曇った。
ツイッターを覗くと見事なまでの「川井」叩きが始まっていた。
川井は首謀者の傍らで、困ったように笑いながら「やめなよーやりすぎだよー」と言うだけの女だ。それでいて「自分は止めたし、積極的にいじめていた人と自分を同じにするな」と喚くから、川井が口を開くたびに耳を塞ぎたくなる。
私も、川井が大嫌いだ。
けれど、私には川井を責めることができない。
同じ状況で、川井のようにならなかった自信がない。半笑いの「やめなよー」さえ、言えたかどうかわからない。
今の私なら、ハッキリと「人を傷付けるのはやめろ」と言うことができる。
けれどそれは、今はもう 一人になるのが怖くないからだ。大人になった私は無理に合わせて群れるよりも、一人でいることの良さを充分に知っているし、失うものが何もない。
精神的な年齢も含め、リアルに全てにおいて川井と同じ立場で、全てを失う覚悟でそれができるか?と言われたら、私は答えられない。
私はそれができなかった過去の記憶を、反芻して生きてきた。
何度考えてみても私には、川井を責めることができない。
しかし、そうやって過去の痛みを呪っていても、何も起きない。
できなかった記憶に苦しむのは やめにして「あの時」できなかった事を、やると決めている。
大変に未熟者なので、中学の時の出来事に限らず、できなかった「あの時」は人生でたくさんある。
これから先、どんなに良い行いをしても、過去はなかったことにはならない。
それでも、過去の痛みを癒せるのは「あの時」できなかったことをやることで変わってゆく、今や未来でしかない。
聲の形もそういう話だったのかなと思う。
久しぶりに20年も前の事を思い出した。
いい映画だった。しんどくもあったけれど。
あの映画は、いじめが身近になかった人にこそ、観てほしい。そして、川井に怒りを感じたら、いじめの現場では自分がそうなり得るという事実に頭を抱えてほしい。
絶対そうならない!と言い切れる人こそ私は信用できないと感じるし、それこそ最も川井に近いタイプだと思う。川井の最も良くないところは、自分は悪くないと信じて疑わないところだ。
なんだすごい脅迫文みたいになってる…まぁ私はヒトに優しくないので。
「聲の形」観てない人は是非観てください
しかしまぁ本当は
川井の言動をボイスレコーダーで全部録音しておいて、どの口が言うんだよって叩きのめしたい
あーまじで川井、嫌いだわ〜