おしゃべりな脳みそ

脳内が多動

ちがい

さむい。去年の私に怒られそうだが、暖冬さむい。

クッションの上で器用に丸くなった犬を眺めつつ、丁寧に淹れたコーヒーとお気に入りのチョコ。こういうなんでもない休日が、身にしみて幸せ。

ていうかそのクッション、私のだけどな。

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ある人が「街中で"ふたり"を見ると、家族も恋人もいない自分との違いはなんなんだろうと考えてしまう」と話していて

その場では思うような言葉を見つけられずに終わってしまったことが、心につかえたままになっている。

正直言って、そこに違いはないと思う。

いや、正確には別の個体だから何から何まで全く違うのだけれど、明確に何かが違うから一人とふたりなのではない。

私はたまたま夫と出会って、一緒に生活することを選び、たまたま共同生活が上手くいっているけれど、すべて自分の力でどうにかしたワケではない。全部たまたま上手くいった。もちろん、お互い気持ちよく生活する為の努力はしているけれど、それも24時間365日というわけにもいかないしな。人間だもの。

かと思えば、子どもが大きくなったら離婚すると決めて一緒にいる夫婦もいる。日々夫を呪いながら共に生活している様子を聞いていると、もう何がなんだかわからなくなってくる。

でもきっと彼らも、事情を知らない人にはごく普通の家族にしか見えない。

 

ふたりでいる人が自分と違って見えてしまうのは、受験の時、周りの人がみんな勉強出来そうに見えてしまうのに似ている気がした。

それもこれも周りの目や、散々植え付けられてきた意識のせいだろう。その意識を変えるのは、きっと容易いことではない。

でも彼女にも、いつか自由になってほしいなと思う。こんなこと私が言うとなんだか偉そうで自分でも嫌だし、本人の前で言葉にするのは憚られるけれど…他に上手い言葉が見つからない。

ただ、私も「夫と生きていく」と言いながら、来年辺りあっけなく離婚して一人になっているかもしれない。本当にそう思う。それはそれで楽しい事があるかもな、とも思うけれど。

 

私たちに、何も違いはない。

一人もふたりも大勢も、それぞれ幸せでいたいね。

そんなことを考えています。

と伝えたかった。どうしたって言葉にするのに時間がかかるし、結局伝えたあとも何度も考えてしまって、どのみち延々モヤモヤするのだろうけれど。

励まされるのは

夫婦を超えてゆけ

二人を超えてゆけ

一人を超えてゆけ

の言葉。恋の歌詞、とても深いですね。