おしゃべりな脳みそ

脳内が多動

阪神淡路大震災

下書きしてあった記事です。せっかく書いたので。

 

阪神淡路の震災があった当時、横浜に住んでいた私はまだ小学生だった。

震災当日のことは、とてもよく覚えている。

いつも通り登校すると、担任の先生が「これはとても大変なことで大事なことだから、授業をするよりもテレビを見た方がいい」と言って午前中 テレビをつけてニュースを見せてくれた。

そして、関東大震災のこと、今後関東で起こりうる災害について丁寧に話して聞かせてくれた。何かとんでもない事が起きた事を認識した私は、家に帰ってもテレビで現地の状況を知ろうとした。怖い、だからこそちゃんと知りたいと思った。

先生はそれまで私が見てきた教師とは全く違う大人だった。小学生の私たちを子ども扱いせずに男女問わず「さん」付けで呼び、必ず敬語で話をする。多分、私が初めて出会った「子どもを一人の人として扱い、尊重する大人」だった。

多分、先生がテレビを見せて色々な話をしてくれなかったら、阪神淡路大震災の深刻さを認識するのは私には難しかったと思う。話し手がその先生じゃなかったら、話もまともに聞かなかったかもしれない。

 

きっと、今もまだ心に傷を抱えたままの人がいる。

傷付いた人々が祈るような日々の中で、幸せを感じる瞬間が一つでも多くありますように

そう願っています。