おしゃべりな脳みそ

脳内が多動

年の瀬の挨拶

TLの誘惑に堪えきれず予定になかったネイルをポチる

あると思います。(吟じるな)

それは、ネイルを気持ちよく大量にポチった翌週のことだった。届くのがめちゃくちゃに楽しみだし後悔はないのだけれど、物が増えることへの罪悪感はどうしたって拭えない。

ツイッターで趣味に関連したアカウントをフォローすると(余程の自制心がない限り)鼠算式に物が増殖してゆく。なんと恐ろしいことか。

最も良い節約または自粛方法はツイッターをしないことだとわかってはいても、気付くとTLでお茶をすする日々。なんだろう居心地がいいな縁側かな。

見ているだけで満たされるものも確かにあるし、好きな人々の日常を垣間見る心地良さも知ってしまった。やめようなんて気はサラサラない。

まあ今のところは。

 

クリスマスに とてもいいものを手に入れた🎁

どうやら夫は私が うわ言のように呟いた「ゲームがしたい」という言葉を覚えていてくれたらしい。

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私のデカい手のひらとちょうど同じくらいのサイズのそれには、幼い頃にお小遣いで買った「星のカービィ」も入っている。

その日から、夫婦でそれはもう夢中になって、もくもくと時間を消費している。

ふと時計に目をやって「こりゃいかん」となる、そういう時間の過ごし方。なんたる贅沢(眼精疲労やばい)

しかし、犬がつまらなそうな顔で新入りのそいつをパンチするので、あまりによくできた感情表現に 夫と顔を見合わせてゲラゲラ笑ってしまった。(ゲームを中断して、これでもかと こねくり回したら寝た)

テレビとゲーム機をつなぐコードが邪魔で怪訝な顔をしたり、キミは本当に的確な感情表現を知っているんだね。人でも入ってるのかな。

 

さて

今年はここ数年で一番というくらい本当に色々あって、楽しいも悲しいも詰め込んだ一年でした。

ブログは多くの人に訪問していただいて、こういうのは読んでくれる人がいるから成立するもんだと思っているので、心からありがたい…ありがとうございました。大変お世話になりました。

来年は少しツイッターでのあり方を変えていこうと思っていますが(というかすでに変えつつある)相変わらず正直でいる精神はそのままでやっていきたいです。

来年の抱負は今のところ、ぼんやりしているので無理に言葉にするのはやめておきます。

最近‪考えているのは「数ある選択肢もその存在を知らない人からすれば、ないのと同じだ」ということです。

それでは、よいお年を🎍

 

クリスマスイヴ

10年前の今日、フジファブリック志村正彦が亡くなった。あれ以来、私にとってクリスマスイヴはただのムードを楽しむ一日ではなくなった。

私もいつの間にか志村の年を追い越してしまった。それが、ただひたすらに悲しい。

フジファブリックを知ったのは大学生の時だった。強烈に覚えているのは、通学中に聴いたあれでもこれでもなく、単位を取り終えて迎えた大学4年の後期に、チョコレート工場のバイトに向かう道中 何度となく聴いた「桜の季節」だ。

まだ薄暗い早朝5時半、屯するカラスを横目に駅に向かう。乗り換え不要の鈍行でゆるゆると運ばれてゆく電車の中も、駅から工場までの長い道のりも、当時付き合っていた彼に教えられたフジファブリックの音楽があった。

その人とは、ほとんど私が一方的に好きで一緒にいたようなところがあって、私は常にもやもやしていて、そのもやもやにフジファブリックの音楽がピタッとハマる感覚があったせいもあり、当時はフジファブリックばかり聴いていた。

桜の季節、虹、茜色の夕日、銀河、陽炎。季節感ある曲と哀愁漂う志村の声に魅了された。ハマるととことん の性格が災いして志村のことも当然、気味が悪いほど調べまくった。志村は私が好きな中原中也に、よく似ていた。照れ笑いで変な顔になる志村のことが、好きだった。

“私のことを好きでもない彼”と別れたのは社会人になってからだった。自分が変わる為に 自ら別れを切り出し、どうしても断ち切りたかった私は 同時にフジファブリックの音楽を絶った。もう、思い出さなくてすむように。

それから数年が経ったあの日、仕事中にYahooトップニュースで志村の急逝を知った。目にした瞬間の、時が止まったかのような感覚を今でもよく覚えている。

なぜ

あれこれと調べまくったが、ふと我に帰り ネット上に真実が転がっているわけがない、と手を止めた。気付くと、私は泣いていた。

その日から、私はまたフジファブリックの曲を聴くようになった。志村は私が距離を置いている間も素晴らしい曲をコツコツと生み出していた。

その中でも「若者のすべて」は今ではフジファブリックを代表する名曲。その素晴らしさは、私に離れていた時間を酷く後悔させるものだった。

フジファブリックが残されたメンバーで再始動することを知った時、私は泣いた。そして、昨今のめざましい活躍を一人のファンとして心から嬉しく思う。

今年の春、ヒトリエのボーカルwowakaさんが急逝した。31歳だった。

まさか、二度も好きなバンドがメインコンポーザーを失うのを目の当たりにするなんて、思いもしなかった。

発表前から、ライブ中止など不穏な動きがあって不安な数日を過ごしていたけれど、希望を持って公式の発表を待っていた。

しかし、不安は現実になってしまった。全身の力が抜けた。米津玄師の無言のリツイートにも、その後のブログにも悲しみが詰まっていた。

けれど、残されたヒトリエのメンバーは いま活動を再開している。

ヒトリエも作詞作曲は亡くなったボーカルのwowakaさんが担っていた。それでも、彼らは歩みを止めなかった。その決断を後押ししたのは、他でもない今のフジファブリックの存在なのでは、と私は勝手に思っている。

今後も、変わり続けるフジファブリックの活動、そして新しいヒトリエの活動を応援していく。

 

日常の一切れ

どうも、私元気です。

どうやら無事にインフルバイオテロから生還したようです。手を洗いまくったからガビガビになったな。あんななーもうごめんだな。

狭い会社に完治前のインフル部長が出勤するって言うんで、来社の約束を延期してもらったんですが

‪私「インフルが出ました。」‬
‪S社『あれがいいですよ、クレベリン。去年うちはインフル一人も出ませんでした。』‬
‪私「えっすごい!」‬
‪S社『本当に効き目があるのか、今年は実験的に置いてないんです』‬
‪私「なぜ そんな体を張った実験を…」‬

ちなみにクレベリン、粘膜弱い人には刺激が強くてあまり良くないみたいなので、我が社は見送りました。粘膜よぼよぼ身体年齢還暦間近。喘息の方なんかも二酸化塩素は要注意みたいです。

 

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普段何気なく使っている言葉や慣用句をSNSで使う時、念の為 検索して確認するようにしています。(急な告白)

先日、変換ミスで道理が「通り」になっていたのとか、実はとても気にしていて「これは変換ミスだから!ちゃんとわかってるから!」という気持ちが抑えきれず、ついついここに書いてしまうくらいには気にしています。

とはいえ、ヒトの誤字や誤用を見て「うわーこの人間違ってるよー」と思うかというと、そういうことでもなく

ただ「いや、わかってるんですよ。」でしかない。それ以上でも以下でもなく。ただひたすらに、それ。

肥大化した自意識の中にうずくまる、ちっさい人間なんす。

どうでもいい話をしてしまいました。いつもか。

 

 

先日、こういうことがありまして

夫には「美味しくて食べてるというより、腐らせないように頑張っていたので、もうリンゴの追加はご遠慮下さい」とハッキリ伝えたんですが

『そんな気はしてたけど、それはそれで面白いかなと思って』

と笑顔で返されました。Sっ気のあるお茶目な人なので…そういうとこが好きなんですけど。うん、これはただの惚気です。失礼しました。

リプライで色々と消費アドバイスをいただいたおかげで、リンゴ残り3つです。やってやったぜ の気持ち。

 

色が好きです。

幼稚園からアトリエに通って物を作ったり、絵を描いたりしていた影響もあってか、昔からカラーチャートを眺めるのがとても好きで、大学時代に趣味で色彩検定受けちゃったくらい、色に触れることが とにかく好きです。いや、大学はごく普通の経済学部なんですけど。

検定料バカにならないし、教材もわりとお高めの価格設定だったけど、まぁ今思えば暇だったんでしょう。高校時代に死ぬほどバイトして金だけはあったので、楽しく勉強して無事に受かりました。パンパカパーン。

そして、やっぱり今も色が好きです。

ちなみに、仕事は全然関係ないけど「好きなことを仕事(収入源)にしない」という生き方は自分に合っていると感じています。

PRを引き受けないのも、このブログでアフィリエイトをしないのも、同じ理由です。

好きなことを仕事にして上手く生きてる人に対する憧れは、ずっとあるんですがね。心の底から、すごいなって思ってます。

自分の「好き」への出費がそういう人の収入になると思うと、働いて稼ぐのはやっぱり楽しい。(実際そんなにダイレクトじゃないのはわかってるけど)

私にとって仕事はずっとそういうものです。

 

お世辞

「インフル 流行ってる」ってあのリズムで言ったら「インテルみたいに言うな」って突っ込んでくれる友がほしい。(突然なに)

今週は社員の3分の1がインフルになって(なぜか支店が違う人々が同時多発的に)私自身もすでに移ってるかもしれない恐怖に怯えながら、目の前の仕事を黙々と片付ける日々だった。

ただ、いつもはインフルでも何食わぬ顔で出勤してくるf××kin迷惑部長が「どうしてもやる事があるから午前中来ないで」などと連絡してくる謎の成長を見せたりした。‬(結局、車に乗り込んですぐ意識を失いかけて出勤断念、営業マンが部長の替わりに走り回っていた)

年末独特の忙しさに加え この異常事態には緊張感もあり、正直とても疲れた。

昨日の夕方「熱が下がった」と言いながら部長が出勤してきたので、無事に終わったかどうかも、今はまだわからない。見事に移っている可能性はまだ残されている…

けれど、よく頑張ったご褒美も兼ねて買ったネイルのおかげで、ご機嫌ではある…いや、やっぱり不安だインフルこわい。なんか関節が痛いような気がする(怯)

 

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先日、前澤友作氏がテレビに出ていたのをミーハーな気持ちで観ていたら、普段静かな夫が急に

「この人、金の使い方が酷いよな。配る金あるなら寄付しろよな」

と言い出して、黙っていられず「いや、前澤さんはめっちゃ寄付してる。昔からずっとそういう活動に熱心な人だよ。」と言ってしまった。

言ってしまった、という言い方をしておいてなんだが、正直 言わない選択肢はなかった。

こういう時、黙っていることができない。

「わかるー」と同調すべきだとわかっていても、理解できなければ「わかる」とはどうしても言えない。「そういうもん?」「へー」などと言って、そういう意見もあるんですねのお気持ちを丁寧に表明してしまう。(相手にする方からすれば、めんどくさい事この上ないだろうな。と思いつつも、今後も変えるつもりはない)

当然ながら、お世辞も社交辞令も言えない。誘い受けを狙ったであろう言葉に気付いていても、相手の望む言葉を言うことは基本的にない。(逆に私が誘い受けを狙うこともないけれど)

やばい。話の着地点があやしくなってきた。

私の場合、思ってもいないことを言うのを心が嫌がってしまい、言うのに多くのエネルギーを消耗する。その後の自分の為になる時しか、お世辞や社交辞令は言わない。

だから、ずっと「思ってもないお世辞をすらすら言える人は大人だ」と思っていた。

けれど、お世辞や社交辞令が上手い人の中には、話しの流れに乗る方が楽だという人もいるのでは と思うようになった。その人も、決して生きやすいとは言えないのかもしれない。

 

ごめんを飲み込んで「ありがとう」を言うように意識してきた人間としては、歌詞にありがとうしか出てこない米津玄師の「ごめんね」に、たまらない気持ちになる。

米津玄師「ごめんね」聴いてください。

http://j-lyric.net/artist/a0579b7/l049515.html

 

ときどき、自分の立場をハッキリさせずにいられない時がある

もう賞味期限切れの記事をそっと置いておきます

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ツイッターで食べ物の話ばかりしているせいか、ダイエット関係の商品あげるからPRしてくれや、という趣旨のDMが来るようになって、めんどくさくてプロフィールに「PRはお引き受けしていない」と明記することにした。

私は痩せたいと思ったことが、ただの一度もない。糖分大好きハッピーライフ。

人の体型の悩みは様々だ。私の体型の悩みの解決はダイエットにはない。

そもそも、細いことが必ずしも美しいわけではない。そして何より「女は美しくあれ」と強要されない社会になればいいなと思う。

各々が選択する自由の一つにスタイルアップがあるような時代が、いつか必ず来る。そして今を笑い話として話せるように、きっとなる。

いやいや、ずいぶんと話が飛躍したな。本題に入ろう。

 

村田充さんの「前向きになれなかった彼女」という一文に対する批判に、私は個人的に強い違和感がある。それを、表明せずにいられないが為にこれを書いている。

これを書くにあたり色々と調べ、それぞれ根拠を確認してきた。断っておくが村田さんは売れない俳優ではない。俳優として舞台に立つだけでなく、演出を担うほどの才能ある人だ。自分の目の届く範囲で活動しない人を「売れない」と評するのにはとても賛成できない。

ブログの文脈から「子どもが欲しかった私と、(子を持つことに)前向きになれなかった彼女」と読み取った上で話を進めていく。

ある事柄に対して前向き、というのはそもそも その人が ポジティブとかネガティブだとかそういう意味の表現ではないはずだ。これは単に国語の問題だと思う。

何より前提として、ポジティブが偉いわけでも、ネガティブが悪なわけでもないというのは私の個人的な意見だからまぁ置いておくとして(おいとくのかよ)前向きであることの対極にあるのは、果たして後ろ向きなのか、それも疑問だ。愛の対極が無関心であるように。

物事を読み解く時、白じゃない?!じゃあ黒ってことか!やんのか!という見方をするのは、少々もったいなく感じる。何事にもグレーゾーンが存在する。実際には白か黒かで語れるものの方が少ない。それは濃いグレーと薄いグレーの間に議論の余地がある、ということでもあると思う。

今回のように多方面に向けた報告の 端的に伝えるための表現を、言葉狩りのようにつつくのも、個人的には違うと思う。

そして、あの報告に対して「生むのは女なんだよ」と怒るひとたちには、少し冷静になってほしい。

私が調べた限り、女性側は子どもを望んでいないわけではなかった。ただ、子を持つなら、どちらかの親が常にそばにいられるような環境である事を条件として考えている事を、あちこちで語っている。彼女の育った環境で持った変えられない考えとは、この部分のことであろう。

その考えを尊重したいからと男性側は自らの活動を休止して、産後を支える覚悟を女性側に伝えていた。

女性側はその覚悟に対する敬意や感謝を明確に口にしていたし、最終的には それでもなお女性側が(今は)子を持つ選択をしないと決めたが故の離婚だろう。

それぞれに譲れないものがあった。それを言葉を尽くして妥協点を探し、話し合ってきた。私の感覚では、なんて素晴らしい夫婦だろうと思う。(いや、もう離婚してるんだけど)

自分の良しとする子どものための環境に妥協しなかったのが、神田沙也加さんの決断だと理解している。もちろん尊重されるべき考えであるし、尊重されたからこそ離婚に至ったのだろう。(新しい彼氏がどうとかいうのは、また別の次元の話なので置いておく)

そして、村田充さんが子どもを望む気持ちもまた尊重されるべきである、というのが私の意見だ。

個人的な話になるけれど、私の夫は私よりも強く子どもを望んでいた。治療をしても子どもができなかった時、たまたま夫は私と一緒にいる事を選択しただけで、子を持つ事を優先して他の人との人生を選ぶ権利が彼にはあったし、今もあると思っている。(それでサヨナラは、やっぱりちょっと悲しいけれど。その感情は私だけのものだとも思う)

こんな世の中だから、日頃 言葉の圧力や違和感と戦っている人々(特に女性)があの一文にナーバスになるのも無理はないとは思う。

けれど、よく知らない人のことをよく知ろうとせずに反射的に批判する行為は、自分を窮屈にしかねない。もちろんそれは、私自身にも言えることだけれど。

好きなものでも食べて、一旦落ち着きませんか。

 

悲しみ

例によって好き勝手に関係ない話を適当に並べただけのブログです。

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最近、ダイヤ改正の影響で毎朝 乗り換え時間カツカツの通勤になり、大好きなセブンに寄る時間がなくなってしまった。なんなら遅刻してでも寄りたいセブン。悲しみブルー。

 

自分にとって最悪な日が、知らない誰かの最高な日であることが、私にとっては救いです。

自分にとって最悪な日は、誰の最高も許せない人のことは、それはそれで好きです。そりゃまあ、ぶっちゃけ人によるけども。どうしたって人間くさい人の魅力には抗えない。

ツイッターやブログに書いている考え方や意見は、時間をかけて冷静な頭で選んだ私にとって最良の選択で、実生活の私はダメダメの反省な日々を繰り返し、考え方に合わせて言動を上手くアップデートできていないのが現実だ。

人としてあまりに未熟で恥ずかしくなる。けれど、それが私という人間の本性だ。なぜ必要もないのにこんな事をわざわざ書いているのかは、おそらく5年後くらいに笑って話せると思う。

なんだろう。自ら書いておきながらすごく恥ずかしい。深く海の底に沈んでしまいたい。

自分が悪いのはわかっているし、心から反省している。けれど、この反省をいかす機会は多分もうない。

昔から人生の多くの時間を考える事に費やしてきた。私は自分のダメなところを、嫌になるほどよく知っている。そして、考えるより実践の方が身になることも、この歳だから嫌になるほどよく知っている。

とりあえず当面の間は、しっかり悲しんで過ごそうと思う。悲しみをはぐらかすと、ろくなことにならない。経験上、それだけは確かだ。なるほど。これも経験か、道理で考えてばかりいても進歩しないわけだよな。

 

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小学生の頃、大きな会場で催されたペット博のようなイベントで犬の図鑑を買ってもらった。

図鑑を眺めるうちに大のお気に入りになった白いテリアのページは、何度も繰り返し開くうちにくっきり痕がついて一度で開けるようになり、私は いつかその犬を飼いたいと思うようになった。

転校先で犬を飼うことになって、ネットで見つけたブリーダーから譲り受けたのが念願の白いテリア=ウェスティの「檸檬」だった。

私の愛した檸檬とLemon - おしゃべりな脳みそ

震災があった年に死んでしまった檸檬は、小さな骨壺に入れられ、長いこと実家のピアノの上にいた。庭に埋めるのを、私が嫌がったためだった。

数年が経ったある日「もういい加減、庭に埋めるよ。ずっとこんなとこいたら、檸檬が可哀想だよ」と母から電話があった。

私も犬を飼い始めていたし、なんとなく諦めがついた頃だったので「わかった」と電話を切って実家に向かった。

母が穴を掘るのを眺めながら、庭に埋めずにピアノの上にあった期間は、どうしても必要な時間だったように思った。

ふと、どこかで読んだ話を思い出した。

ある人が旅行で預けていた犬が、帰ってみたら小さな骨壺に収まっていたというショックな出来事を受け入れられず、何年も骨壺のままでそばに置いていたという話だ。死因を知ろうにも遺体がなければ解剖もできず、なす術がなかった為に泣き寝入りするしかなかったようだった。好きなだけそばに置いておけばいいんだと伝えたいが為に綴られたであろうその話は、私にとって とても印象深いものだった。

檸檬を庭に埋葬した日は、家に住んでもいない娘のわがままをゆるしてくれた母に感謝した日でもあった。(私は頑固だから、勝手に埋めたらブチギレてめんどくさいとでも思っていただけかもしれないが)

檸檬は先住犬と一緒に庭に眠っている…はずだが、彼は脱走癖があったからとっくに庭から逃げ出しているかもしれない。自由で幸せならいいなと思う。

霊とか信じないけど、亡くした今もどうしたってキミの幸せを願わずにいられないな。

 

忘年会

セクハラの話をします。お疲れの方や感受性が強い方は、この先は読まずにページを閉じて、どうか心穏やかに過ごして下さい。

 

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先日、昼休憩中にデスクで仮眠をとっていた私に対して部長が「すげえリラックスしてくれてるのありがたいけど、俺らに襲われるかもとか考えないの?」とニヤニヤしながら言ってきた。

もう完全に無理だった。

その時私は「どういうことですか?ただの犯罪ですよ」とだけ言った。その目は死んでたと思う。

明らかに私が人として軽んじられた瞬間だった。

今考えても部長がどういう気持ちでその言葉を口にしたのか、まったく理解も想像もできない。

休憩中に机に突っ伏して寝ていたら襲われる職場なんてあんのか。え、それはなに。犯罪予告ですか。襲われて訴えないとでも思ってんの。こっちは全面的に争う姿勢だぞ。まさか寝てた奴が悪いってなるとでも思ってんのか。

過去に忘年会で受けた物理的なセクハラも、必ずその場で振り払って「セクハラです」とハッキリ言ってきたけれど、数々の何気ない会話から考えても部長は性差別意識が強い人だ。しかも本人に自覚がない。あれは、多分一生治らない。

後輩が入社して間もない頃、部長の言葉によるセクハラに耐え切れず「気持ち悪くてもう無理です」と泣きついてきた事があった。しっかり話を聞いた上で私から社長に相談して、社長から注意してもらった。社長にきつく叱られた後「仲の良い女の子に“俺が下ネタ言ってもやらしい感じがしない”って言われるから、みんなそう思ってると思ってた。まさか嫌がってると思わなかった」とかなり落ち込んだ様子でしばらく大人しくしていた。後輩の話によると「やめて下さい」と何度言っても笑うだけで、一向にやめてくれなかったそうで、イヤヨイヤヨも好きのうちという男に都合のいい言い伝えの弊害が今ここに…と言った出来事だった。けれどそれから10年近く経って、二人のわだかまりがなくなった今は、すっかり忘れてしまったようだ。

部長は酔うとセクハラ的な行動や言動がどうしても顕著になる。前回の飲み会では「旦那さんとやってんの?」とニヤニヤしながら聞いてきた。「それ聞いてどうするんですか」とはぐらかしたけれど、心底気持ちが悪かった。

自分の娘が上司にそんな質問されたとしてどうなのかと言ったところで「男とはそういう生き物で、女はそれに卒なく対応するべきだ」とでも言い出しそうだから余計に嫌になる。

忘年会に、行きたくない。

ただ、奥さんと子どもが参加した時の部長は楽しそう且つ、紳士だった。なので「またご家族も一緒にどうですか」とにっこり笑顔で話しておいた。

神様仏様奥様どうかどうか来てくれますように