おしゃべりな脳みそ

脳内が多動

ときどき、自分の立場をハッキリさせずにいられない時がある

もう賞味期限切れの記事をそっと置いておきます

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ツイッターで食べ物の話ばかりしているせいか、ダイエット関係の商品あげるからPRしてくれや、という趣旨のDMが来るようになって、めんどくさくてプロフィールに「PRはお引き受けしていない」と明記することにした。

私は痩せたいと思ったことが、ただの一度もない。糖分大好きハッピーライフ。

人の体型の悩みは様々だ。私の体型の悩みの解決はダイエットにはない。

そもそも、細いことが必ずしも美しいわけではない。そして何より「女は美しくあれ」と強要されない社会になればいいなと思う。

各々が選択する自由の一つにスタイルアップがあるような時代が、いつか必ず来る。そして今を笑い話として話せるように、きっとなる。

いやいや、ずいぶんと話が飛躍したな。本題に入ろう。

 

村田充さんの「前向きになれなかった彼女」という一文に対する批判に、私は個人的に強い違和感がある。それを、表明せずにいられないが為にこれを書いている。

これを書くにあたり色々と調べ、それぞれ根拠を確認してきた。断っておくが村田さんは売れない俳優ではない。俳優として舞台に立つだけでなく、演出を担うほどの才能ある人だ。自分の目の届く範囲で活動しない人を「売れない」と評するのにはとても賛成できない。

ブログの文脈から「子どもが欲しかった私と、(子を持つことに)前向きになれなかった彼女」と読み取った上で話を進めていく。

ある事柄に対して前向き、というのはそもそも その人が ポジティブとかネガティブだとかそういう意味の表現ではないはずだ。これは単に国語の問題だと思う。

何より前提として、ポジティブが偉いわけでも、ネガティブが悪なわけでもないというのは私の個人的な意見だからまぁ置いておくとして(おいとくのかよ)前向きであることの対極にあるのは、果たして後ろ向きなのか、それも疑問だ。愛の対極が無関心であるように。

物事を読み解く時、白じゃない?!じゃあ黒ってことか!やんのか!という見方をするのは、少々もったいなく感じる。何事にもグレーゾーンが存在する。実際には白か黒かで語れるものの方が少ない。それは濃いグレーと薄いグレーの間に議論の余地がある、ということでもあると思う。

今回のように多方面に向けた報告の 端的に伝えるための表現を、言葉狩りのようにつつくのも、個人的には違うと思う。

そして、あの報告に対して「生むのは女なんだよ」と怒るひとたちには、少し冷静になってほしい。

私が調べた限り、女性側は子どもを望んでいないわけではなかった。ただ、子を持つなら、どちらかの親が常にそばにいられるような環境である事を条件として考えている事を、あちこちで語っている。彼女の育った環境で持った変えられない考えとは、この部分のことであろう。

その考えを尊重したいからと男性側は自らの活動を休止して、産後を支える覚悟を女性側に伝えていた。

女性側はその覚悟に対する敬意や感謝を明確に口にしていたし、最終的には それでもなお女性側が(今は)子を持つ選択をしないと決めたが故の離婚だろう。

それぞれに譲れないものがあった。それを言葉を尽くして妥協点を探し、話し合ってきた。私の感覚では、なんて素晴らしい夫婦だろうと思う。(いや、もう離婚してるんだけど)

自分の良しとする子どものための環境に妥協しなかったのが、神田沙也加さんの決断だと理解している。もちろん尊重されるべき考えであるし、尊重されたからこそ離婚に至ったのだろう。(新しい彼氏がどうとかいうのは、また別の次元の話なので置いておく)

そして、村田充さんが子どもを望む気持ちもまた尊重されるべきである、というのが私の意見だ。

個人的な話になるけれど、私の夫は私よりも強く子どもを望んでいた。治療をしても子どもができなかった時、たまたま夫は私と一緒にいる事を選択しただけで、子を持つ事を優先して他の人との人生を選ぶ権利が彼にはあったし、今もあると思っている。(それでサヨナラは、やっぱりちょっと悲しいけれど。その感情は私だけのものだとも思う)

こんな世の中だから、日頃 言葉の圧力や違和感と戦っている人々(特に女性)があの一文にナーバスになるのも無理はないとは思う。

けれど、よく知らない人のことをよく知ろうとせずに反射的に批判する行為は、自分を窮屈にしかねない。もちろんそれは、私自身にも言えることだけれど。

好きなものでも食べて、一旦落ち着きませんか。