私の愛した檸檬とLemon
「名前なんてどうでもいい」なんて口では言うけれど
実際、正直なところ名前って大事なんだと思う
私の名前は平仮名なので、漢字に対する憧れが強く、読み間違えようのない名前のせいもあって、中学の頃は小難しい漢字にハマっていた。
ちょうどその頃、飼うことになった犬に「檸檬」という名前を付けた。
梶井基次郎の「檸檬」から取った、と言いたいところだが、響きと字面で決めた。なにせ私は本を読まない。その当時も今も、梶井基次郎の「檸檬」は名前しか知らない。人の死と関係があるらしいことだけは、噂に聞いたことがある。
私は檸檬を大事にしつけて可愛がった。たくさんの時間を共に過ごした親友のような戦友のような特別な存在。賢くて優しい檸檬が大好きだった。
私が実家を出て数年後、15歳になった年の夏、檸檬は死んでしまった。しばらくは泣いてばかりいたな。
白内障で もうあまり見えていない様子の檸檬に「これが最後かも」と思いながら「れもん、またね」と声をかけ頭を撫でたことを、今でもときどき思い出す。
2018年、米津玄師の「Lemon」
私からコスメを取ったらただの米津ファンなので、この偶然に運命感じずにはいられなかった。ずっと応援してきたご褒美みたいでドキドキした。
大晦日はずっと夢見てきた、米津玄師のテレビ初歌唱。
その昔ツイキャスで「歌は上手い下手じゃない、心よ」と語ったその言葉通り、心のこもった歌に胸を掴まれた。
よく 正座待機とは言うけれど、本当に正座してさめざめと泣きながら見た紅白での彼の歌唱を、死ぬまで忘れることはないでしょう。
ところで、英語のLemonには欠陥品という意味もある。え?今それ言う?と思われそうだな。すんません。ただの照れ隠しです。
あと
今年はツイッターの人に会う年にしたいです。
おしまい