おしゃべりな脳みそ

脳内が多動

シワの話

あまり表立ってシワ改善、予防の為にやっている事をTwitterに投稿する人を、まあ私の見ている界隈では見かけないんだけど

さすがにもう37にもなれば、それなりに刻まれつつあるそれを、ある程度は許容する心積りはあれど、手放しでドンと来いとまで開き直れるでもなし…

そんなわけで、いま私が取り入れているごく自然な範囲での予防策についてお話しします。

 

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まず35を境に導入を始めたのが、レチノールによるシワ改善。私が気になっているのは顔の骨格上目立ちやすい「ほうれい線」なので、主にほうれい線とその周辺に、寝る前にだけ塗布。

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レチノールは塗れば塗るほど良いものではないので、適量を紫外線の心配がない時に塗るのが鉄則。「もし日中に取り入れたいなら上から日焼け止めでしっかりカバーして」というのが公式の注意事項なので取り扱いは要注意です。

 

それに加えて今年から取り入れているのが、表情筋を鍛えたりほぐしたりする予防法。

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色々試したけど続けやすさから、永松麻美さんのシワとりブックに落ち着きました。本当にこれだけでいいの?というほど簡単なので続けられる。

電子書籍も出ていますが、目につくところに置くことで思い出して日々継続、というのが私には合っているようなので、形あるもので手にするのが個人的にはオススメ。

目について思い出して実践して、時々は手に取って忘れてる工程がないかチェックしたり、その時の状態に合わせて取り入れたいものを加えてみたり。そういう使い方です。

コロナ禍においては、マスク生活で凝り固まった表情筋を元気にする役割を果たしてくれると思います。うん、オススメ。

 

それに加えてアイクリームは保湿と目元のシワ予防の為に続けています。相変わらず使ってるのはアスタリフトのあれ。

私が取り入れているこれらの予防法だと目に見えた変化が起きるのは難しいだろうし、やらなかった場合と比較することもできないので何とも言えませんが、継続した結果できたシワは愛してやるつもりでいます。極端にシワのないテカテカした不自然な肌(一部の芸能人のこと言ってる)になるのも、それはそれで抵抗あるので。程よく年相応であることが私の望む生き方です。

元々乾燥肌なのもあって保湿に力を入れるのは変わらず続けているし、保湿もシワ予防になるので、まだまだ模索する日々は続きます。(とは言えシュープリームノイは良い)

 

変化

今日、久しぶりに散歩でよく会うご老人とお話をした。

実は長らく、よく会う時間帯、よく会うルートを避けて散歩に出ていた。それは、私が無自覚にウィルスに感染している可能性を考えてのことだったし、相手もそれを望むだろうと思っていたからだった。

けれど、今日話してみて、それは少し思い違いだったかもしれないと思い至っている。

ご老人は老犬ながらも元気な柴犬を連れ、小綺麗な身なりと品のいい語り口が印象的な人。散歩で出会う数々の犬連れの中でも、私が一方的に好感を抱き、密かに大事にしてきた ささやかな関係の一つだった。

散歩中に出会うと、うちの犬をさも愛おしそうに撫で回し甘い言葉をかける。それがお決まり。

私たちはいつも、犬を通したコミュニケーションしかしてこなかったけれど、今日は少し違った。

ご老人は人とのコミュニケーションを欲しており、人間である私との会話を楽しんでいるようだった。

最初は勘違いかもしれないと思ったけれど、私と別れた後、背中の向こうで新たに始まった会話の様子から考えて、まず間違いないだろう。

散歩から帰宅し満足そうな犬を眺めながら

遠くにご老人と柴犬がいるのを確認するとルートを変えるのはもうやめよう、そう思った。

 

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先日 会話の中でふと夫が

「離婚する人たちって、なんなんだろうね」

と言うので、私は自然な気持ちで

『自分は離婚しないと思ってるんだ』

と言った。

すると夫は

「どういうこと?あぁ離婚したいんだ。」

『そういうことじゃなくて、単に自分は妻に三下り半を突き付けられるかも知れないとは思っていないんだなぁと私が思ったってことだよ。私は自分が離婚を切り出される可能性はゼロじゃないと、ずっと思ってるから。』

そこから、この一年くらいの夫の怒りの沸点の低さについて、職人気質な義父によく似てきたなと感じていること、義父と義母はそれでもここまで二人でやってきたかもしれないけれど、それはあの二人の関係性や時代背景の結果であって、私と夫ではまた別の話であること、正直言ってどれくらい耐えられるか不安があること、すべて洗いざらい話した。傷付けないよう言葉を選びながら、でも切実さが正しく伝わるように。

私は自分の想いを吐露するだけではなく、一つの提案としてアンガーマネジメントの手ほどきを例を交えつつ話した。それは、自らの怒りに夫自身が苦しめられているようにも見え、なんとかなるなら手助けをしたい気持ちからでもあった。

それから10日ほど経った頃、思いがけず夫から経過報告を受けた。

あれ以来、アンガーマネジメントを実践していること、やってみて感じたこと。とりあえず、マイナスになる事だけは無さそうだと感じているという結びに、内心ホッとした。

夫は去るものを追わないタイプの人で「もういい」と女が泣きながら言うのを「わかった」と放置して関係を終わらせてきた。多分、そのほとんどが真意とは逆だったのだろうと推測されるけれど、そういう人だから私の先日の物言いに対してどういう感情を抱き、何を選択するのかは未知数だと思っていた。ほとんど賭けだった。まあ、私もそれほど強い危機感を抱いていたからこそ切り出したのだけれど。

アンガーマネジメントは私にとても向いている。怒りを感じたら目の前にある物体をよく観察し、別のことを考えることで一旦冷静になる。大体いつも気もそぞろなところがあるので、こういう考察はお手の物だし、やってみていくつも発見があった。

本当に怒るべきことなんて、身の回りにほとんどない。社会問題と関係してくると話は別だけれど、半径3メートルで起こることなんてたかが知れている。

夫は怒りを感じた時「本当にこれは怒るべきことか?それほど重要なことなのか?」自問するようになったらしい。

『40過ぎて変わろうとするのも大変だろうけど、私は君の変化を祝福するよ。』今はそういう気持ちで応援しながら見守っている。

 

悔しいとか羨ましいとか

アパレルのPRってものが何をどうする仕事なのか、無知な私には見当も付かないのだけれど

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もう10年以上は親同士を通してしか近況を知らない友人…と呼んでいいのかすら怪しい彼女が今、その道で活躍して雑誌に載ってそうな(というか実際ウェブマガジンには載ってる)お洒落な一軒家を都内に持ち、好きな服を身に纏い、子どもと心から楽しそうに笑っているのを知ってしまい、「私は私」と頭では思っていても、一旦酷く打ちのめされてしまった。

ここまで感情が揺さぶられたのは、何年ぶりか。抗えないほど強い感情の波。

思い出せないくらい長い間、こんな感情に襲われることがなかったので、正直戸惑った。夫と出会ってからは一度もなかった気がする。

堪らず夫にこぼしたら

「他所は他所、うちはうち!」

と言い放ったあと、くしゃくしゃに笑っていた。

わかってる。わかってるのよ。

しかし、第三者の言葉は自分で言い聞かせるよりは、気持ちを落ち着かせる効果がありそうだ。と黙って噛み締める。

本当は、悔しいとか羨ましいとか、そんなん言う隙間もないくらい圧倒的に彼女が努力しただけのことだと、私は知っている。それが余計に胸を苦しくさせた。

少し時間が経った今は、波が大分穏やかになってきた。まだ凪までは時間がかかりそうだけど、むしろ「おかげで勉強頑張れそうですありがとう」の気持ちで受け止めていく。

 

くっそー私も英語喋れるようになって、バリバリ仕事してやるわ。

まだ自分にこんな感情があったことに驚きつつ、悪くはない気がしている。

 

スイッチ

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あの人がいなければ
あの言葉がなければ
あのスイッチがなければ、今頃私は
と思うことがたくさんある。
何事も努力はしてきたけれど、努力だけではどうにもならないことが世の中には山ほどあって、その時々で色んな人に助けられてきた自覚がある。

ありがてえ。

私も誰かの良いスイッチになれたらと思う。その為にも誠実でありたい。

誠実であることは、私の人生のテーマになりつつあるなと最近ふと思った。

 

= MIU404が終わって寂しいです。

 

 

久しぶりに実家に行く

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明日は横浜の実家へ
年末に行って以来長らく接触自粛していた為、かなり久しぶりになってしまった。百歳になった祖母には初めて会う。

父がそわそわしているらしい。自分勝手に娘を愛するあまり「離婚して戻って来てほしい」とか言い出す不謹慎な父。

ていうかお母さん、その情報全然いらないので胸にしまっておいてくれていいよ。

お父さん、仮に離婚しても娘はその家に帰るつもりは更々ありません。諦めて自分の人生を生きて下さい。

 

料理が得意な母に、いつも通り食べたいものをリクエストした。

きっとまた「まずい?」って控えめぶって聞くんだろうな。それやめなよ、と何度言っても変わらない。

普通に「美味しい?」って聞いてほしい。

私なんか夫に「美味しいね!」としか言わない。自分が作った物については、圧倒的賛同しか受け付けていない。そんくらい強気でいいでしょ、だって私は母に似て料理が上手い。

リクエストは肉団子とレモンのサラダ。我ながら良いチョイス。楽しみだな。

 

ふぬけ

腑抜けのふぬけ感は、平仮名の方がよく出ている気がする。

そんなどうでもいい事を考えながら、サボっていたあれこれを片付ける意外と忙しい日々を送っている。

サッパリ爽快。清々しいな。

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相変わらず、朝は同じ時間に起きている。

まだ暑さが残る中、犬の散歩をしようと思うと、早起きせざるを得ない。

散歩から帰宅して犬と一緒にソファで一眠りするまでが、最近の朝のルーティン。この時間が本当に好き。

 

いよいよ退職日が迫ってきた頃、社長に「3時間で1万出すから週に一回だけ来てほしい」と言われ、仰天しながら丁重にお断りした。

なんだその労働条件。むしろ怖いよ、社長落ち着いて。

後任者は私から見て問題なく仕事ができているし、個人的に出る幕はないと確信している。

その旨伝えてなんとか納得してもらった。後任者の為にも、私はいない方がいい。私が逆の立場でいつまでも前任者がいたら、自分は信頼されていないと感じてしまう。

私はそういう事にはなるべく敏感でいたいし、社長の言うように長く働いてほしいなら尚のこと、働く人の心も大事にしてあげてほしいなと思う。

大事にされているかどうかは、すぐに伝わってしまう。

 

夫が「これは、仕事お疲れさまケーキ」と言って、特別贔屓にしている店のフロマージュを買ってきてくれた。丁寧にいれた紅茶と一緒にいただいて、なんだか色々満たされた。(ただの惚気です)

しかしまあ、辞めた直後に言うのもなんだけど、働いてお金を稼ぐっていいなとしみじみ思う。

高一の終わりに父が仕事を辞めて、それまで禁止されていたバイトが解禁になって以来、ずっとどこかしらで働いてきた。今はどこの組織にも属していない。

あー自由だな。なんでもできる。ような気がする。

経験を活かした仕事でガツガツ働くか、せっかくだから新しい事に挑戦するか、迷うなあ。いい出会いがあるといいな。

 

清々するわ

今日、長年勤めた会社を辞めてきた。

気付けば勤続14年。

…14年?赤ちゃんが中2になっちゃうな。

そう考えるとあまりに長い。

そりゃ年取るわけだよ。そういや もうすぐ誕生日。37歳はマイペースにいく予定。いや、いつもか。

 

バイトで入って、とりあえず3年くらい働いて転職しようと思っていた会社で、社長に気に入ってもらって社員になった。

思い返してみると長かったのかどうか、正直よくわからない。

最初の小さな事務所で部長と並んで仕事をしていた情景は、今でも鮮明に思い出せる。タバコ臭くて暗い事務所だった。今とは何もかもが違う。

 

念のため言っておきたいのは、部長が社内でマスクをしないから辞めるわけではないと言うことです…まあ0.1%くらいはあるけど。いや何このどうでもいい話。

理由は一つじゃない。複合的と言った方が正しいと思う。ただ、最大のネックは通勤だった。往復3時間半。コロナ禍ではそのツラさの中身が変わってきた。

「これは変わる時かもしれない」と思った。

 

ホワイトでもブラックでもないそこそこグレーなところのある会社だけど、仕事しやすくなるならどんどん買いな!と言ってくれたおかげで色々と揃えられて快適に仕事ができたし、結婚した時からこれまで、社長は私の労働条件について色々と融通してくれた。

ただ、融通してくれるのはありがたいけれど、それに対して一部の人がよく思っていない事も知っていた。

私は「違う」と思うことがあれば、震える手で勇気を出して戦ってきた。

その人たちから後輩を守る盾になってあげられないのは心苦しい。だけど、もういいかな。

社長がどうにか私を雇い続ける方法がないか、色々と提案してくれた。前職をクビになった私にとって、これ以上ない幕引きだ。

おかげで、ほんの少し自信になった。ありがとう。

 

創立して間もない会社には管理体制が何もなく、自力でゼロから考える必要のあることばかりだった。

部長は私が作ったExcelファイルの数式を消して「エクセルが壊れた」とか言い出す。社長はタイピングすらできない。そういう会社。

だからこそ、ずっと「私がいなくても誰でもわかるように」をテーマに丁寧に仕事してきたし、トラブルが起きれば今後の予防策を提示してきた。予防策を講じることが自分の手間を増やすことになっても、そういう風に私も知らないところで誰かに助けられているはずだと思って頑張った。

こうして考えてみると、よくやったな私。

大したことしてないと思おうとしてたけど、違う。よくやった。えらいえらい。

それもこれも、もう考えなくていいなんて清々するわ。

 

というわけで、しばらくはゆっくり勉強しながら仕事探します。

ビバ無職。