誰かの我慢の上に、自分の満足があるのは嫌だなと思う。それが実現可能かどうかは別として。
搾取の構造は模造品に限ったことではなく、私たちの生活のあちこちに蔓延っている。
ユニクロで手軽に服買って、プチプラコスメ買っただけで深い業を背負ってる。本当に生きるって罪深いな。
まあそれを知っても尚 生きるんだけど。
己の無知を知って恥じ、一つずつ直しながら生きていく。それが誠意だと思っている。
無知は罪なれど誰が責められようか、とも思う。
転職に望みを繋いで迎えた年末。
いつまで今のペースで勉強できるかも微妙だし、どこにモチベーションを持っていっていいのかわからず、なんだかふわふわしている半端者だ。
今月、服を断捨離して気付いたのは、これまで服装完全自由だったので、仕事に着て行く服がスーツとタートルネックくらいしかないということ。
どうやら金を稼ぐ為の服が必要。金を稼ぐって金がかかるな。宝くじ買っとくんだった。
『あなたとならいいよ もしも最後に何もなくても いいよ』
深く優しくて、それでいて強い表現が米津玄師らしい。聴くたびに泣けてしまう。
カナリヤは米津玄師がアルバムを出すにあたり、コロナに対する自分なりの答えを出さなくては、と考えて作った曲。
そして、MVとカナリヤ基金。
「こんな時に音楽家にできることなんて」と語っていたことを思い出し、もう胸がいっぱいで何も言えなくなった。
きっと
これからも どうしようもなく好きでいる。
今年もお世話になりました。
来年も適当にやっていくつもりです。
よいお年を