おしゃべりな脳みそ

脳内が多動

今日死ぬかもしれない。

‪ワニが死んでめちゃくちゃ落ち込むのを回避するため、今日まで読まずにとっておいた「100日後に死ぬワニ」をついに読んだ。

更新される19時が永遠に来ないでほしい。知らないところでいいから、幸せでいてほしいとか思ってしまっている。

作者のプロフィールを見ていて、ハッとした項目があった。

作者・きくちについて | STUDIO KIKUCHI

二十歳のときに友人を事故で亡くし、大きなショックを受けた事が書かれている。

その出来事はきっと、作者の人生観を変え、この作品を書く大きなきっかけの一つになったに違いないと思った。(私の勝手な妄想です)

私が「今日死ぬかもしれない」とか、家を出るときに「帰って来れないかもしれない」とか毎日考えていることは、このブログで何度となく触れてきた。

おそらく、小二のときに友人を急な病気で亡くした事が、この感覚を作った最初のきっかけだったと思う。それまで漠然としていた死に対する不安を、実体あるものへの恐怖心に変えた出来事だった。

ユカちゃんは病弱なわけでもない、普通の子だった。けれどある日「お腹が痛い」と言って学校を休み、病院に行って薬をもらっても治らず、再度受診。あまりに痛がるので、別の病院に行ったところ『腹腔内で大量に出血している。どうすることもできない。』と言われ、入院したもののそのまま最期を迎えることになった。原因は詳しく聞いていない。

簡単に「友人」と言ったけれど、私は彼女のことが嫌いだった。幼稚園で出会い、親同士の仲が良かったので私たちは何となく接点がある状態が続いていたけれど、意地悪で嫌な子だと思っていたから、バチが当たったんだとすら思った。

しかしながら同い年の彼女の死は、私に大きなショックを与えるには充分すぎる出来事で、しばらくは夜なかなか寝付けないほどだった。

大して行いが良いわけでもない自分にも、同様に死がすぐそこまで来ているのでは?と不安になった。命の采配が行いの善し悪しで決まらないことは、のちのち様々な人の死に直面し知ることになるのだけれど。

死の当日か翌日だったと思う。知らせを受けた母が「会いに行く?行きたくなかったら行かなくてもいいよ」と言ったので、私は当然行かなかった。そうして動かなくなった彼女を見ることなく永遠に別れた。今も私の記憶の中で嫌な単語の数々を吐きながらドヤ顔してる彼女が生きている。

彼女には年の離れたお姉さんがいた。二人はとてもよく似ていて、地元にいた頃は街ですれ違うこともあり、生きていたらきっと彼女もあんな美しい姿だったんだろうなと思いながら横目で見ていた。

一度だけ 母と一緒の時に、お姉さんと彼女のお母さんにばったり会ったことがある。私は高校生だったから、あれから10年近く経った頃だ。

なんでもない会話の中、二人とも自然な顔で笑っていた。

ああ、知らないうちに日常を取り戻していたんだ、と感じた。私の中でずっと「ユカちゃんを失った家族」だった二人は日常を生きていた。

 

ユカちゃんのことがあった後も、隣のクラスの静かな男子が水難事故で亡くなったり、友人の母親(40代)が亡くなったり、通っていたアトリエの先輩が念願の美大に受かった3月に貧血で倒れたところを運悪く電車に衝突して亡くなったりした。先輩はちょっとうるさいくらい元気で明るい人だった。やっと掴んだ志望校合格だっただけに、ショックは大きかった。

他にもいろんな人がいろんな事情で死んでしまった。

ただただ無情だなと感じながら生きてきた。

人は死ぬ。

私も「今日死ぬかも」と思いながら生きてるわりに、やるべきことをやれているかと問われると、やれていない事があまりに多い。けれど、一つだけ決めていることがある。

どんなに腹が立っていても「いってきます」「いってらっしゃい」「おはよう」「おやすみ」「おかえり」「ただいま」ちゃんと言葉を交わすこと。

ささやかだけど、これからも一生守っていく私の中の約束事です。