おしゃべりな脳みそ

脳内が多動

複雑な感情

昨日の朝、何かを調べようとスマホを手にしたはずが、開いた瞬間それが何だったか忘れてしまったまま、いまだに思い出せずにいる。

思い出せないこの時間、何度経験しても気持ちが悪くて嫌になる。いっそ、忘れたことも忘れてしまいたい。

 

寒いからと思って家で着込んでいると、ちょっと掃除機かけたくらいで暑くなってムカつく。適温であれよf××k

いや待て、こんな事でf××kなお気持ちになっていたら、世の中はf××kなことで溢れているよ、一旦落ち着け。

しかしながら、週末は散々放置していた家事を片付けたし、服を断捨離してとても晴れやかな気分だ。

断捨離と言っても、着ない服を袋にまとめただけで、そいつはまだ部屋の片隅にあるし、今度はそいつを処分するというタスクが新たに発生しているわけだけれど、今日のところは一旦忘れて、着ない服を選び取ったことを祝福しよう。

よしよし、えらいぞ私。よくやった。

 

ずっと迷っていたニットは結局 パープルにした。

ジャケ買い - おしゃべりな脳みそ

自分で決められない時の私は、大体誰かに相談して自分の気持ちを確認しがちだ。

今回も「これとこれ色で迷ってるんだけど」と言いながら夫に見せたら「こっちだね。似合うと思うよ」と即答だったので意気揚々とパープルを購入した。

と見せかけて、心のどこかでは決まっていたものの、夫に背中を押された形だ。

ただ、実際似合うかどうかは別として、夫が似合うと言ってくれた事実だけで気持ちよく着ていられる。夫ありがとう感謝永遠に。

 

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フユノ/ヒトリエを聴いていて「どうして私はこの感情の名前を知っているんだろう」と思った。

その時、悲しみと名のついた私のこの感情が、別の誰かの悲しみと同じではない事を久しぶりに意識した。

私にはあなたの気持ちはわからない。けれど、想像する。それが私にとって到底理解できないような言い分だとしても、あなたにとってそれがどういう事なのかを想像する人でありたい。

ツイッターをやっていると、素晴らしい物に出会って感動もするし、無自覚な自分の差別意識を認識して動揺したりもする。これが何度経験しても、毎度恥ずかしくてたまらない。

多分、まだまだ私の中には誰かを傷つけ得る差別意識が根付いている。一つでも多く引っこ抜いて、新たな意識に植え替えていこう。それが、知らず知らず傷付けてきたであろう人々への私なりの誠意だ。

残念ながら、どうしたって言葉にしないとわからない人はいるし、その点においても言葉にするのはとても重要なこと。それを嘲笑したり適当にあしらう扱いは、匿名か否かを問わず、あってはならない事だと思う。

最近いろんなツイートを目にして、改めて思った。己の無知を知ることは、贖罪の第一歩だ。

 

言葉を知らないと、きっと正しく伝えることは叶わない。私の拙い言葉はどんな風に伝わっているだろうか。知りたいような知りたくないような、なにより捉え方は自由であるべきだとも思う。

なんとも形容しがたい、とても複雑な感情だ。