おしゃべりな脳みそ

脳内が多動

最後

先日、奨学金の返済完了証なるものが届いて、返済の終わりを知った。

返済手続き当時はその年月を途方もなく感じたし、あっという間というほど体感が短かったわけではない。けれど、実際迎えてみると呆気ない終わりに拍子抜けしている。

そうか、終わったのか。だからと言って特に何が変わるでもないけれど、改めて振り返ると感慨深いものがある…ような気がしなくもない。いや、何もないかもしれない。今は家のローンがある。私の借金がゼロになったわけではない。

家のローンを組む時、必要書類に「他にローンがあれば記入して下さい」と言われて、奨学金を記入したところ担当者に「あ、奨学金は関係ないんで書かなくていいです。」と言われて「は?」と思った。

いやいや、関係大ありだろ。

ローンの仕組みもまったくどうかしてるな、と思った出来事だった。

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先週末、母と二人で山形の祖母に会いに行ってきた。

生きててほしい - おしゃべりな脳みそ

以前、電話口で「もう動けなくて、生きててもしょうがない」などと言い出したものだから、どれほど弱ってるかと思っていたら

90度に曲がった背中で動作はゆっくりながらも、忙しなく動き回って世話を焼こうとする姿は何も変わっていなかった。見ているこちらが落ち着かない。頼むから一旦座ってくれ。

祖母は来年 祖父の法事を終えたら、介護施設に入るつもりで自分で調べているらしい。なにものにもしがみつかない潔さが祖母らしくて笑ってしまった。

祖父が亡くなったのは、私が中3の春だった。初めて目の当たりにした肉親の死だったせいか、とてもよく覚えている。

始業式を終えて帰宅すると、いるはずの母がいない。しばらくすると電話が鳴り、胃がんを患っていた祖父が亡くなったこと、母が先に一人で山形へ向かったことを知った。危篤の知らせを受けて向かったものの、どうやら間に合わなかったらしい。

電話をくれた親戚家族と兄とで、その日のうちに山形へ向かった。

着いてみると母はケロっとしていた。祖母も動き回って悲しむどころでは無さそうだった。最初にガンが見つかった時点で一年もたないと言われていたけれど、そこから何年か経っていたし、それぞれ覚悟を決めていたのかもしれない。湿っぽい空気はなく、みんな落ち着いていた。

祖父の顔を改めて見ると、母そっくりだった。

「おじいちゃんとお母さんおんなじ顔してる」と言ったら、母は笑っていた。鼻筋の通ったキレイな顔だった。当然モテるので、浮気しまくっていたらしい。母よ、その話をどんな顔して聞けというのか。

葬儀の間、疲れた母はうとうとしていたけれど、その間も祖母は凛として気丈に振る舞っていた。私の知る、いつも通りの祖母だった。

ところが、焼き場で棺に釘を打ち、いよいよ火葬という時だった。祖母が棺に手を添え、声をあげて泣き出した。

見たことのない祖母の感情的な姿にドキッとした事をよく覚えている。

祖母は私にとって、目指すべき場所にいる特別な存在だ。

帰り際、手を振る姿を見ながら「祖母に会うのはもしかしたら最後になるかもな」と思ったけれど、ふと前回も同じことを考えたなと気付いて思わず笑った。

また会いたいな。