おしゃべりな脳みそ

脳内が多動

治りの悪いキズ

仕事の日に、弁当を作らず買って済ませている事について、友人に「残り物と冷凍食品とご飯詰めるだけなのに」って言われたキズがずっとジュクジュクして治らない。

いつだって「〜するだけ」という物言いは、人を苦しめるなぁと感じる。「〜するだけ」と感じるかどうかは、人による。その人の性格、環境、体調、精神状態など様々な条件で一つ一つの作業の重みは変わってくる。

塩分タンパク…諸々の計算をして食事を作る我が家に、残り物は存在しない。あってもカレーか豚汁くらいなもの。正直 私はこれ以上、食事で頭を使いたくない。昼くらい何も考えずに食べたいものを選ぶだけのラクをさせてほしい。

私は、私の食事管理の苦悩を最もよく知る人は彼女だと思っていた。でも、違った。私の思い違いだった。

それが、とても悲しかった。

言葉は「誰に言われたか」で大きく意味が変わってしまう。

f:id:nagamurut:20190804122715j:image

この出来事を思い出すといつも、自分が同じような物言いで誰かを傷つけてしまいそうで怖くて、胃がキュッとなる。

私は私が信用ならない。

大事な人を傷付けたくない。傷付けない一番簡単な方法は、口をつぐむことだ。そうすれば、己の犯した過ちに苦しむこともない。(アイネクライネが流れ出しそうな文言だな)

だから、結婚してしばらくは忙しさを理由に、誰にも会わずに過ごした。少ない人とコミュニケーションをとるだけの静かな日々は、とても尊く思えたし、私に大きな勘違いをさせた。

人と関わらずにいると、己の輪郭がぼやけ、そのうち、崇高な人間にでもなったような気になってくる。

ところが、ひとたび多くの他者と関わるとメッキが剥がれたように、自分のダメなところが露わになって狼狽えた。

私が人と関わるのは、その喜びを諦めたくなかっただけじゃなく、自分を知る為でもある。(自分のダメなところを忘れない為というか、なんというか)

他者と関わることでしか知り得ない自分がいる。

私は、あんな物言いで大事な人たちを傷付けない。そして、相手を傷付ける言い方をしたと思ったら、きちんと言葉にして謝る。

誠実でいることを、ここにそっと誓おう。