おしゃべりな脳みそ

脳内が多動

くるみ

私個人に興味がある人がいるとは思っていない。けれど、今回はものすごく個人的なお話。おいおい「今回も」だろ、と言われたら返す言葉もない。

 

今一番悲しいことは、夫との穏やかな老後がないと、わかってしまっていること

幼い頃から常に不安を抱き、渦巻く不安と共にどうにかこうにか生きてきた私にとって、夫は唯一の希望だったと、思い描いた未来を失って初めて気付いた。丸まった背中で並んでお茶をすすりたかった。

夫のいない未来に、私は心底興味がない。

 

「性格の悪い孤立したチンパンジーが味方を見つけたり、違う群れに属すると性格が安定する」という旨のツイートを見かけた。

私はその「性格の悪い孤立したチンパンジー」に自分を重ねずにはいられなかった。

夫と出会って、私はずっと抱いてきた不安とうまく付き合えるようになったし、知らぬ間に未来に希望すら抱いていた。恐ろしいほどの変化だった。

どんな状況でも私を信じて疑わず味方でいてくれた夫の言葉が行動が、私の心をいとも簡単に救った。

ずっと「自分のような屈折した人間は自分の代で終わらせるべきだから、自分は子どもを持つべきではない」そう思って生きてきた。そんな私が不妊治療をしてまで子を産み育てようとした経験から、「人は変わる」と強く実感する。学生時代の私に話して聞かせても、鼻で笑われるだろうな。

結局のところ、子どもを授からなかったので、「お前は子どもを持つべきではない」とお手製の神様みたいな何者かに言われたような気になって、勝手に落ち込んだりもしたし、「いやいやそんなわけあるかーい」と打ち消したり、治療においては本当に色んな感情を抱き、自分がいかに無知であるかを知った。経験しないとわからないことが、この世の中にはありすぎる。

知ったかぶって申し訳ない、と謝ってまわらないといけないな。

 

これは断言するけれど、私の人生最大の幸運は夫との出会いだ。

私は運がいい。厭世的だった私がこんなこと公然と言い放つなんて、とんでもない事だな。ありがてえな。

一言で言って夫は、私にはもったいない柔軟で器の大きな素晴らしい人で、なぜ彼が私のような人間を選んだのかいまだによくわからない。

いや正直ごくたまに、夫もクソみたいな人間になる瞬間があるけど、それは私の日々の失敗を軽々とスルーしてくれる素晴らしさに免じて許す事にしている(随分と上からだ)

 

こうして思い返すと改めて、夫はいい奴だなと思う

すると、今度は急に

なんでこの人死んじゃうんだろう

という感情が湧いてくる。

なぜ死ぬか?理由なんて簡単だ。持って生まれた身体がもろかっただけのこと。誰のせいでもない。

頭でわかってはいても、なぜ世の中のありとあらゆるクズではなく夫なのかと不満を感じずにはいられず、感情が子どものように駄々をこねる。

理屈では他の誰かなら良いとかそういうことではない。けれど、正直私の中では紛れもなくそういうことだし、批判されたとしてもこの感情が変わることはない。

大声で言ってやってもいい。なんであいつじゃなくて、夫なんだろうなぁ納得いかねえなぁ。

理屈じゃないのが人間だ。これも、夫と過ごした時間に教えられた。

 

私は今そう遠くはない未来に訪れる喪失に、怯えている。

けれどこれは、漠然と不安を抱えながら生きていた幼少期のそれとは違う。

まだ見ぬ喪失が、今ある幸せの輪郭を浮かび上がらせている。皮肉だとは思わない。むしろ、なんて美しいんだろうとすら思う。

おそらく、私は無駄だとわかっていながら、その時が来るまでこの問いを繰り返す。

他者からすればそんな私の姿は不幸に映るだろうか。

私はこんなに幸せな日常を生きたことがない。

ない。