ツイッターで「変わる」「変わらない」「変われない」のツイートが散見されて、語り出したい衝動を発散させるためだけのブログです
個人的すぎてなんか笑えてくる
ツイートにあった「変わるのは簡単じゃない。人はそうそう変われない」というのは
変われない自分に焦って追い詰められる人を救うための言葉としてはとても重要なもの
けれど、必ずしも正しくはないと思う。
実際は意識して行動や言動を変えると、自ずと気持ちもついてきて意外と簡単に変われる
と同時に、それが周りを変えるきっかけにもなる。
(はっきり変えたい現状があるなら言葉にしないとわからない人もいるから、行動の変化が最善の道とは限らないことは補足しておきます)
例として私の経験を少しお話しします。
私は誰かに何かしてもらった時、申し訳なくて「ごめん」と言うくせがありました。私の「ごめん」はそのほとんどが「ありがとう」に置き換え可能なものだと気付いた時「ごめんより、ありがとうを言おう」と心に決め、その時から私は積極的に感謝を口にするようになりました。
発する言葉は、意図せず私の意識を大きく変えました。それは、同時にネガティブな言葉が自らの意識を蝕むことの気付きでもありました。
いま私にとって、人にイライラして消耗しながら岩のように動かないよりも、自分が変わる方が楽だし簡単です。
でも、私も昔は岩のように動かないタイプでした。
今よりはるかに自意識過剰で頭がかたくて(今もまだ自意識過剰だし頭はカチコチですが比較してです)、頑なに自分の考えにしがみついて苦しかったから、変われなくて苦しむ人の気持ちも痛いくらいわかる…つもり。
そして、こういう「変われるよ」という言葉に拒絶反応を起こす人の気持ちすら…わかる、わかるよと言う気持ちです。
私もずっとそうだったので、私の言葉が全然受け入れられないとしても、仕方がないなと思う。
ただ、なんというか
あのツイートの影響で
心が元気なのに、うがった見方で「どうせ変わんない」ってなるのはもったいない気がして仕方がなくて
黙っていられなくてツラツラと誰が読むとも知れぬブログを書いている
さあ!変われるよ!みたいな精神論を語りたいわけではないので、具体的な話をします。
考え方を切り替えるポイントとして、私が意識しているのは
自分に、どうしてできないの…と失望するのではなく、どうしたらできるのか?を考える
そして、できない自分を許すこと
相手に、なんでわからないの!と怒るのではなく、どうしたら伝わるのか?を考え、伝える努力をすること
そして、他者に100%正しく伝えるのは不可能と知ること
理解は誤解と似たようなものだから
対人関係においては
最終的にわかり合うことが目的ではなく、わかり合おうと努力する過程が、後々ダメだった時の心の拠り所になると考えています
努力してダメなら仕方ない
最も重要なのは、必要もない場面でわかり合おうとしないこと、かもしれません
他者は他者と割り切ることです
私は自分に失望、絶望すること
理解されない世の中に対して怒って消耗することに、なんだか飽きてしまって自分が変わることにしただけで
過去のグズグズしてた自分はそれはそれで愛しくも思うし、そういう人にこそ幸せになってほしいと思っています
何が言いたいかというと
時が来れば、人は変われる
頑張っても変われないなら、きっとまだその時ではないだけだから、変われない自分を責めなくていい
タイミングは人それぞれだから、他者と比較して何かを得ようとしなくていい
ということです
変わろうとするのは、心が元気で余裕がある時がいいと思う
弱ってる時にする事ではない
そして
弱ってる時に、目の前のことをこなすなんて大変に素晴らしくて、もしそれができなくても自分を甘やかした事を褒めてあげるくらいがきっと、丁度いいです